意味

2020年02月24日
りいさ( 19歳 / 学生 )

人間ってのは(大口を叩いているけど、少なくとも私は)何か自分の行動に意味をつけなきゃ落ち着かない生き物らしい

意味があることに安心する

重要なのはその行動にちゃんと意味があるという保証だけだ

なんともバカらしい無駄な行為であることは百も承知だ

私は思う

物理的には生きてることには一切意味がない

起きてご飯を食べて寝る

このルーティンを繰り返す生きるという行為において、物理的になぜ生きているのかという問に対する回答は見出せそうにない

どんな本を読んでも生きている意味を説いているのは聖書の中だけだ

宗教を人々が信仰したくなるのはこのためじゃないのか、と常々考えた末に私では結論づけた

人間は意味を欲しがる、行動全てにおいて

その中で生きるという行為そのものが最も意味のない事である、と気づく事にそう時間はかからないような気がする

そんな時に自分たちに意味を提供してくれる宗教というものはあまりにも合理性があった(私自身は別に宗教に関してはいいも悪いもないと思っている。信じる者は信じたらいいし、信じない者もそれでいい)

まぁ全て私の最高に勝手な仮説であるけれど

けれどやはり、

何かのために生きるという意味論は宗教にしか存在していない

これはおそらく事実に限りなく近いと思う

この瞬間、私たちは何かを信教しない限り、意味なるものを根拠に生きていくのは諦めざるを得ないことになる

要するに宗教を信教してない私は、何かのために生きているのかという問いには一生答えられないってことだ

そんなにも意味を好む人々が

何で生きてるのか

生きている間にやりたいことやるため

以外のいい考えが私にはうかばない

なにかを成すことができるのも、何かを熟考することができるのも生きてる時間だけだから、意味論で語れないやりたいことをやるしかないように思う

じゃあやりたいことってどんな風に見つけられるのだろう

自分がこれまでに心躍ることはなかったのか?なんて訊かれるけど、やりたいことを早々に見つけられるのは運のいい人間たちだけだと思っている

もちろん、やりたいことがあるのに、現実的に可能か不可能かを考えた末にやりたいことが見つからないなんてほざいてる人間はまた別の話だけれど

結局のところ、簡単にやりたいことを見つける方法なんて薄っぺらいものは存在しないんだと思う

否、私が難しく考えすぎているのかもしれないが

出来るだけ多くの世界に触れる外的志向

これまで自分が夢中になってきたものは何かと考える内的志向

この二つを持ち合わせて手探りするしかない

高校生の頃読んでいた参考書に

哲学の究極命題は、「自殺するかどうか」

つまり苦しいこともしんどいことも難しいこともあるこの世界、人生は生きるに値するかどうかという問いだが、知を身につけることの面白さはこれに応えるに足ると考える

という文章があった気がする(こんなニュアンスだった)

生きるに足ると言い切れるものは、私にはないはずなのに私は今日こんにちも楽しく生きている

何かたった一つの確固としたものがなきゃいけないということでもないのかもしれない

現に私は明日も明後日もまだまだこれから先楽しく生きていたいんだもの

りいさ

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